午後からは小雨も降り、冷え込んで「ファミリー感謝祭」に来て頂く方には出難い
状況となりましたが、お招きしたOSCの役員さんをはじめ、多くの家族、友人
の皆さんに来て頂けました。
一時半から発声練習を始め、ひと通り合唱練習も済ませて、二時半から歓迎の挨拶
の後、湯浅茂子先生の指揮、進行で感謝祭は始まりました。
「春の日の花と輝く」を唄う前に、先生が詩を朗読して下さり、「愛」の歌である
ことを説明して頂いて、合唱しました。
ご指導して頂いていた、”歓迎の表情“で唄えていたか、あやしいのですが、常に
”良い顔“で唄うことを,心がけていきたいと思います。
「夏の思い出」は、我がメイトが、最初に練習した思い出深い曲の一つです。聴き
に来て頂いた皆さんも良くご存じの曲で、多くの方が口ずさんでおられました。
「星に願いを」について、茂子先生から「今日、男性が唄う曲は二曲ですが、この
曲は後で唄う勇ましい曲と違い、静かに優しく唄う曲です。果たして、どうなるで
しょうか」と説明され、唄い始めました。練習時にご指導いただいた事が活かせた
か、心もとなく反省の気持ちの方が強いように思います。
「花」は先生から、作曲者の滝廉太郎が、日本の音楽史上で果たした功績について
説明された後、女声二部合唱で唄いました。この曲も、多くの方が一緒に唄って
おられました。
「故郷の人々」の作曲者、フォスターについて先生から「彼が貧しい中で生涯を
終えた」とのご説明があり、多くの人は意外に思ったのではないでしょうか。
貧しく、失意の内に作品を残した芸術家に比べ、彼の作品は、優しく明るい曲が、
特徴のように思えるからです。ところで、皆さん“我が故郷”を思いながら唄え
たでしょうか?
☆ 松川峰子先生のピアノ演奏・・ショパン「幻想即興曲」
茂子先生からショパンは生前、この曲は残さないようにと指示していたとのお話
がありました。これほど親しまれている曲なのに何故?と思いませんか。
松川先生の演奏が始まると、目を閉じて静かに聞いている人、体を前にして
くいいるように聴く人と様々でしたが、至福の時間を有難うございました。。
☆ 湯浅茂子先生に「メリーウイドウ」より「ヴィリアの歌」を歌って頂きました。
大富豪と結婚した令嬢が、数日後に夫を亡くし”陽気な未亡人“となった物語の
中で歌われる曲とのご紹介の後歌って頂きました。私達にも先生とご一緒に唄え
るチャンスを与えていただき有り難いことでした。
先生が歌い終わられると、聞いておられた皆さんが、一瞬の間をおいて今日最大
の拍手で感動を表現しておられました。
「箱根八里」この曲は、東海道小田原宿から三島宿まで、おおよそ八里あること
で作られた、と解説して頂き、男性陣は元気良く唄いました。唄い終わった後
スカッとして、この曲を選んで頂き良かったと思いました。八里は歌になりますが、
32キロメートルでは・・・(先生の解説の続きです)
「花の街」の作詞者、江間章子が、この詩を書いたいきさつについて、ご説明して
して頂きました。「花」もそうですが、女声合唱は、男性は安心して聴かせて貰い
一緒に口ずさんでいる人もありました。
最後の曲「花は咲く」は、東北大震災の復興を願い、日本中で唄われている曲です
が、今日来て頂いた方々にも、被災された方と関わりのある方がおられたかもしれ
ません。
復興道半ばともいかず、特に、原発事故による避難を余儀なくされている方々や、
次々に報じられる汚水問題で、仕事が出来ず不安な日々を過ごしておられる方も
多数おられます。団長から、客席で涙を流しながら歌っておられた方があった
と聞きました。一日も早い国の復興施策と、風化させない国民の支援が求められ
ていることを、強く思いました。
メイトの合唱が全て終わり、全員で「きよしこの夜」と「ジングルベル」の二曲
を唄い、お礼の挨拶の後、用意していただいたお菓子と、女声団員のお世話で紅茶を頂き、
しばし歓談をして、今日の「感謝祭」は閉幕となりました。
先生、団員の皆さまをはじめ、ご協力頂いた方々に、世話人一同感謝、感謝です。
(小原記)